院長岩谷一寿をよりよく知っていただくために

 

幼少期:

私の家庭は、現在では珍しい拡大家族(大祖父、祖父、祖母、父、母、妹、私一寿)でした。
大祖父、祖父、祖母は農家、父は県庁職員 母は専業主婦 大祖父、祖父、祖母からは岩谷家の教えを受け、父母からは、たくさんの愛情を受けました。妹は私の後ろに常にくっついていました。

 

家族の食事は必ず3食全員が揃って同じ物を食べるようにしていました。
食事内容は、魚、野菜、御飯が中心で油脂、肉、砂糖、ジュースは殆ど食卓に出たことがありませんでした。
ジュースが飲みたいので、近隣の友達の家でコッソリ飲んでいました。

 

大祖父、祖父から自然を使った遊び(弓の使い方、魚とり、モグラ、蛇、昆虫の生態) 父、母から(スポーツ、学問の大切さ)を学ばせてもらいました。このころの私の熱中していたこと(現在でも継続中)絵画、虫取り、スポーツ、とにかくじっとしていられない子供時代でした。

 

 

中学、高校時代:

進路を決めなければいけない時期であり、非常に悩んだ時期でした。
俺は何がしたいんだろう?何になりたいんだろう?どんなことをしたら幸せになれるんだろう?
私は美術、数学、化学、生物学が好きでした。おのずと理系コースのクラスになり選択肢が歯科医師、歯科技工士に絞られました。
歯科医師を選んだ決め手は患者様とのコミュニケーションの深さに起因します。
(画家になりたいとも考えていました。前後者共に指先を使用する)

 

 

大学時代:

関東にある昭和大学に進学しました。
決め手は日本で唯一の医科系総合大学。そのため、現在でも医師、薬剤師、看護師、理学療法士、とのコミュニケーションが取れる環境になっております。
また、関東では歯科研修、講演会、同窓会がたくさん催されており自己研鑽の場としては最高です。
部活動を推奨する大学で、私は水泳部に所属しました。主将を務めました。
お酒が好きでかなり失敗、ご迷惑をおかけしました。

 

 

歯科医師になってからの歩み:

医師の免許はありますが、経験がありません。さあどうしたらいいか?何を専門に学ぼうか?非常に悩みました
実家は医療系の職業ではないため誰にも相談することが出来ません。

 

悩んだ末、先輩、大学病院、書籍をもとに高齢者、介護高齢者の方の食べる悩みを解決する。これを最も近い形で具現化できる診療科、即ち入れ歯専門診療科(補綴科)という答えになりました。昭和大学病院義歯専門外来で深夜まで入れ歯造りの研究と実践の繰り返しの日々。また入れ歯とは対極にあるインプラントの研究、実験に携わりました。義歯専門の科でありながらインプラントも学べるのが大変魅力的でした。

 

3年経過して一般開業医で分院長として自分の持てる力をだそうと意気揚々とのぞんだわけですが日本人の虫歯はハグキより下まで進行しているケースが多い、歯列の並びが良くない方が多い、歯がない状態を放置したままの方など大学で学んだ教えだけでは対応困難なケースがたくさんでてきました。

 

そして現在の保険制度内では治せないケースも・・・それでも自覚症状がない患者様は満足そうに病院を後にしていきます。二年後毎回定期検査(3ヶ月おき)に来院していただいていた方から、なぜ金属の詰め物はよくとれるんですか?入れ歯はひび、破折でよくこわれますが、修理代金もかなりかかりますよね?と話され絶句しました。なぜなら、思いあたるふしがたくさんあるからです。

 

このような悶々とした日が2年続きました。これではいけないと思い、30歳の時、歯周形成外科(ハグキの審美治療)MI修復(最も歯を削らない治療)再生治療(ハグキ、骨造成)を謳う関東の歯科医院見学が許されるところに10数件行かせていただきました。

 

その結果、埼玉県央病院口腔外科、矯正、インプラントセンターでの1カ月間の研修の末、合格を伏見学院長に頂き、日本歯科大学附属病院顎変形症診療センター口腔外科科長 荘司洋文師事のもと、患者様が納得し、かつ再治療の少ない最善の方法を、患者様と二人三脚で築き上げる難しさを教わりました。

 

技術面では
①講習会、研修会では決して習得不可能な気が遠くなるような反復練習(input→output)
②生体治癒力と治療行為と選択医療器具が三身一体となり現れる創傷治癒効果の体験
③病院歯科ならではの、多種多様な画像診査(MRI、CT、超音波検査、造影検査)が病因の細部深くまで照らしてくれます
①~③が診断力に磨きをかけてくれます。

 

コミュニケーション面では「医師の想いと皆様の想いのギャップを理解していただく為」の
説明力
相手への伝え方の難しさ
“告知現場„を通しての心くばり
①~③が、必須であることを学びました。

 

 

 

 

約6年間の修行は実り大きなものでした。
尊敬できるメンター(師匠)と後輩、歯科業界関係者に巡り会い大変刺激を受けた日々でした。
思い込みが一番の障害になるということを深く学びました。
また王道とはすべからく泥臭いものであるということ。

 

 

 

帰省:

秋田での開業にあたり18年ぶり・・・まずは方言からと思い近隣の方々と言葉をかわせどピンときません。
これでは治療にならない。歯科業者様からの紹介で男鹿市船越にある医療法人清水歯科医院に勤務。
沢山の患者様から愛される(一日70~100人)その中で最先端医療提供し続け、開院24周年を迎えています。
秋田昭和大学卒業県人会なる食事会で温かい先輩達とお酒をかわすこともできました。
昭和大学歯学部卒業で秋田帰省したのは十数年ぶりだそうです。

私は何年できるだろう?継続させることの難しさを教えていただきました。

 

さあ新たな船出‼新規開院。いわやスマイル歯科クリニックのよき仲間達と、どこまでも漕いでいきたいです。